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zoom RSS ☆0804 Ironman Tallinn ESTONIA 2018 参戦記(前編)

<<   作成日時 : 2018/08/17 17:53   >>

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◆Prologue
 2018年の8月4日に新規Raceとして開催されるIronman Tallinn, ESTONIAに出場すると決めて、とりあえずエントリーを済ませたのが、年明け早々の1月8日だった。 2014年のI.M. Boulderを11時間台で完走して以来、全てのレースでまともに走れていなかったので、ブレイクスルーは無理にせよ、4年前のレベルくらいまでには戻しておきたかった。
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*2014年のIronman Boulderで、女子トップProのレイチェル・ジョイス選手と。

 Ironman Boulderを走り終えた2カ月後の2014年の10月に、4年間の東京本獄(本社)勤務から福岡市へと移動になり、単身赴任生活となった。 福岡にきて3年半。この間、幾つかのトライアスロン・レースやデュアスロン大会などに出場したが、前述のとおり、ずっと低迷していた。
 単身赴任生活が始まる際、「よ〜し、これから頑張るぜー!」と喜んでいたが、早々の2014年11月に、RunningのLSD練習で右膝に発症した痛みがずっと消えず、翌2015年のシーズンをほぼ棒に振った。 結局、2015年にまともに走れたレースは、完走目的で出場した11月のI.M. Malaysiaだけ。
 2016年は、4月の宮古島大会に2年ぶりに出場。 しかし、Swimから絶不調。挙句に、Bikeパートの伊良部大橋の復路下りで、左からの突風に煽られて豪快に落車。痛みを押して、宿がある35q先の狩俣集落まで何とかBikeを走らせるも、池間大橋を渡る前に「また落車したら、ひょっとすると選手生命にもかかわるかも知れん」と感じて、集落のA.S.でリタイア宣言。 案の定、左鎖骨と左肋骨4本を骨折していた。2015年のシーズンは、そんなことで始まってすぐに終わってしまった。

 昨年の2017年は、その落車骨折した宮古島大会からスタート。 この頃は、まだ落車骨折した「横風の突風」が怖くて、Bikeのロード練習はおっかなびっくり。 体重も、ベストから5sほど増えたままで、体は重かった。 とりあえず宮古島大会でリベンジ≠フ完走をし、つづく福岡市で初開催の51.5qのレース(7月4日)では、Bikeまで好調だったが、Runに入ってすぐ、左脚フクラハギに強烈な痛みを感じて、その後の約9qを歩いて完走。 診断の結果、筋断裂を起こしており、その後丸々1カ月走ることができなかった。 そして、それから一月後の8月になって、やっとRunningの練習を再開。 申し込んでいた11月のI.M. Malaysiaには出るには出たが、フクラハギの筋断裂の影響による練習不足から、「前年の骨折からの復活=完走」の目標だけを達成して終えました。

 そして今年。昨年末から楽しみにしていた4月22日の宮島大会は、DNSにしました。
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*写真は、2005年に家族で宮古島へ行った時のもの。

 8年前から、アルツハイマー病と脳卒中後遺症の闘病生活を続けていた新潟の父が、2016年の10月に他界。そして、15年近く「うつ病」とパーキンソン病に病んでいた義母の介護をしていた義父が、同年5月に末期結腸癌がみつかり、手術をしたものの、年明けの今年1月に他界。 更に続いて、亡くなった義父に介護されていた義母に、肺がんがみつかり、義父を追って5月初旬に他界した。
 4月24日の宮古島大会欠場を決めたのは、そんな義母の健康状態が一気に悪くなってきた4月20日頃だった。 もしも宮古島に渡った場合、万が一の事があって帰京しようにも、宮古島発の便がどのルートでも完全満席で、数日間は東京に帰れない、ということが分かったためだった。
 誤解を恐れずに言えば、父母らに「その時の順番」が回ってきただけであり、介護する妻をはじめとする親族も、ようやく「介護に束縛される日々」からやっと解放されたのでした。 「お前さん(自分)は、介護しているわけじゃないし、時間はあるから、その気になれば思いっきり練習出来るべ⁉」と言われていたようだが、同時に「こんな時に、長男が遠方で式の迫る親の傍にいてあげられないなんて(長男の責任も果たさずに・・・)」とも思われていたようだ。
 実家の新潟と、義父母と妻がいる東京の、それぞれの親族にしてみれば、「いい歳こいてトライアスロンなんて危ないスポーツをまだやっとる。いつまでも好き勝手なコトばっかりして・・・」と思うのは仕方がなく、直接・間接的に嘘か本当かわからないような「(自分が)聞きたくもない噂」を聴かされることもあった。
 そんなことを言われても、そうそう福岡と新潟、東京を行ったり来たりすることなどできないし、だからと言って福岡でじっとしていても何かが変わるものでもなし。 彼女らが介護で大変なのはわかるので、とりあえず愚痴を聞いてあげるくらいしかできず、そういう日々では練習にもなかなか身が入らないのだった。
 そして、今年の6月頃からは、そういった「面倒な話」や「心配事」はやっとお終いになり、「自分の生活」を取り戻したのでした。
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 さて、今年のメインレース=最大のお楽しみに位置付けたI.M. Tallinnの目標は、「(4年前の)2014年頃の体力・記録レベルまで戻すこと」。 I.M. Boulderでは11:50くらいでしたが、出来れば2012年のI.M. Frankfurtの記録、11:02に近い記録で完走したい。 更に欲をいえば、10時間前半まで記録を伸ばして、あわよくば・・・と言いたいところ。しかし、今年の10月第二週の土曜日は、「父の3回忌」。 よって、万が一(=ほとんど可能性ゼロ)Konaへの出場権が転がってきたとしても、今年だけは行くことはできません。 ですので、そういう「欲」や目標は来年まで取って置いて、とりあえず「失われた3年半」の時計を動かすことにしました。
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 私は、出場するレースが決定すると、レースまでの週間練習計画を一応立てるタイプですが、絵に描いた餅的な壮大な計画になってしまったり、現実的にしたつもりでも疲労が抜けなかったりで、何時も計画倒れです。 なので、今年はそういった無理な計画は立てず、「10週移動平均の練習時間を、出来る限り10時間以上に保ち続ける」ということにしました。 その理由は、比較的好調だった2009年では、10時間以上が15週連続つづいていたこと(ピークは14hr/10W.Av.)。 この年は、結局、疲れが溜まって帯状疱疹を発症したが、それまではかつてない好調を感じていました。 そして、2011-12年も比較的安定して10週平均10時間が維持され、Ironman Regensburgや、Frunkfultでの成績も比較的良かったためです。

 前述した件で、2017-18年の年末年始と、4-5月にかけては練習量が減ったものの、それ以降は週12時間前後の練習ができた結果、5月の終盤からの4週間だけでしたが、10週Av.10時間を越えられました(グラフ参照)。

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 その後、介護から解放された妻が6月末に福岡へきて、九州観光旅行に付き合ったために練習時間が減ったり、疲れが抜けずに練習時間を短縮したりしました。結果的に、想定内の最下限ではありましたが、まぁまぁの練習時間を確保し、8/4に向けたテーパー期間に突入しました。 準備の全体を通してみると、トレーニングに向かう覚悟と時間の確保、内容、リカバリー方法など、全般的にまだまだ改善の余地が多いと感じています。

 そして、なにより成績に直結する「もう一つの重要な問題」は、ベストから5s以上も増えてから一向に減らない体重。 年初、実家の新潟で日本酒三昧でワッハッハな生活をしていたら、数日で70s近く(ベスト体重+約10s)まで増えてしまいました。 そこから春までに、気力で4−5s落としたものの、そこから先が減りません。 この原因は、「毎晩、眠たくなるまで飲み続け、食べる生活」にあります。 酒を飲むと腸の蠕動運動が抑制され、お腹に溜まった食物が長く腸内に留まることで、腹囲に脂肪がつきやすくなるように思います。
 事実、留守宅(東京)で家内に夕食を出してもらうと、その後は酒を飲み続ける事はなく、数日で体はどんどん軽くなっていくからです。 しかし、単身赴任生活だと、なかなか酒が切れません。酒を飲むと、何かしら食べ物を口に入れてしまいます。 結局、今回はレース移動前の5日間酒を抜いて体調を整えることで、感覚的に軽くしました(実際の体重は、それほど減らなかった)。 とはいえ、体重も体型もベストとは遠い状態でした。
 また、今回のレース開催地Estoniaは、初めて訪れる国。当初、もう一人の選手と二人旅/投宿の予定でしたが、相手の方に健康上の問題が発覚して直前にDNS。完全な一人旅でレースに参加することになりました。 そして、宿泊はホテルではなく、Airbnbで予約したアパートメント。自炊生活をしてレースに参加するのです。
 レースも旅も、「想定外も想定内」と考えて、とにかく何事をも楽しむ心を忘れずに。
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 さて、レースが開催されるEstoniaは、バルト三国の一つで最も北に位置してロシアに接し、かつては旧ソ連に併合されていたので、大人はロシア語とエストニア語が公用語だそう。 しかし、比較的若い世代は英語教育を受けているので、エストニア語よりも英語が得意だったりするらしい。 こちとら、Estonia語なんか全く分かりませんし、ロシア語だったらハラショー!(すんばらしい!)とか、ヤ!(わたし)くらいしか知らんです。 英語だって赤ちゃん語£度のレベルなので、滞在期間中の会話には不安がいっぱいでしたが、終わってみれば「赤ちゃん👶英語」でも何とかやっていけたし、1週間程度生きていくには殆ど問題なし。 ただし、こちらは言いたいことを言って、相手に伝わりましたが、会話が進むと、相手の話(発音?)に耳がついて行けず、conversationが途切れちゃうことも多々ありました。色々と教えてくださる優しいEstonianの皆さんに、ホント申し訳なかったッス!。

◆8月1日(水)移動 〜I.M. Tallinnへの旅程(往路)〜
 7/31(火) 19:45 福岡発 ⇒ 21:35 羽田空港第2ビル着(国際線ターミナルへ、バスで移動)
        しばし、国際線Tのスター・アライアンス・ラウンジでくつろぐ。そして、日付が変わり・・・
 8/1(水) 00:10 羽田空港(国際線)発 06:30 Frankfurt着、10:30 発 ⇒ 13:20 Tallinn空港着。

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※空港から宿の最寄り駅までは、路面電車で移動(レーン4という線)。市民の皆さんは、定期カード支払いで1€。こちら、そんなカードもってないので、車掌さんに直接現金払いで2€。 途中で1回乗り換え(レーン1か2の線へ)。どこで降りてもこの金額。
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 投宿先の家主、Ulviさん(女性)から最寄りの駅名(Põhja puiestee)を聞いて、「すぐそこ」という道筋に従ってバイクケースをひいて歩いていると、なんとご本人が出迎えに来てくださって大助かり! 割と大きいスーパーマーケットが、徒歩2-3分という立地の良さ。

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 鍵をもらい、部屋に入って荷解きをしたら、近所のsupermarketに食材の買い出しへ。 宿に戻っても時間があったので、大聖堂講演の中を走るRunコース途中から、FinishゲートのあるFreedom公園まで散歩。 中世に建てられた世界遺産の大聖堂が数々ある公園は、歩いてすぐ近くにあり、徒歩5分ほどで公園に行けました。
 移動に丸々1日かかって機内でじっとした時間が長く、体が固まっていました。Freedom公園の中のRunコースになると思われる未舗装路を、3‐4qほど軽くジョグして汗かいて気分スッキリ
 北欧も、連日35℃ちかい猛暑日が続いていたそうですが、丁度この日から気温が下がってきたところ。とはいえ、日中の日差しは結構強く、最高気温は30℃くらいまで上がっていました。 日本よりはずっと北に位置するTallinnのkの日の「日の入り」は、21:35。 21時までは明るく、22時過ぎになって、ようやく薄暮になりました。

◆8/2(木) レース2日前。
 日の出は5:30で、福岡市とほぼ同じ時間。しかし、どうも時差ボケが残っていて(時差−6時間)、朝の3時前から目が覚めてしまい、ベッドの上でゴロゴロしていました。 6時近くになって起きだし、朝食まえに再びFinish gateのあるFreedom parkまで軽くジョグ。 途中、レース参加選手と思しきランナー数名に出会う。 それが、なぜか全員日本人(笑)。

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 宿に戻り、バイクを組み立てたら再度Freedom公園の大会テントへ行って、選手登録。ついでにIron Expoを見学。
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 一旦宿に戻り、午後2時ころにレース説明会へ行こうとBikeに跨いで走り出してすぐ、後輪のタイヤに「コブ」が出来ているのを発見! このままではパンクの恐れどころか、マトモに走れません。 タイヤの空気圧を少し下げ、Bikeをゆっくり走らせて、Ironman Expoのテントに入っていたバイク・メカニックに相談したところ、「このホイールに合うタイヤは、ここにはない。 5qほど離れた街中に、MAVICの取り扱い店がある。 住所を教えるから、そこへ行きな〜」。

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 住所は分かったが、方向、道順が分からない。 教えてもらった住所をGoogle mapを使って位置を確認してから、再出発。 途中、突然の雷雨!が降ってきたため、ちょっとだけ近道をしようとしたら道を大きく間違ってしまいました。 大雨の中でも、普通なら15分もあれば到着するところを、40分以上もかかって、やっと探し出しました。
 街中をあちこちウロウロし、雨の中を行く何人もの人に道を教えて頂きながら、やっとバイクショップに到着。 苦労はしたけど、Tallinn市民の親切ココロを感じられたし、ショップの兄ちゃんは10%サービスしてくれたし、いい思い出になりました。

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 バイクショップでタイヤを交換してもらった帰り道の途中で、15:30開催のレース説明会(英語)に出席しようと会場を探しました。しかし、ここでも道が分からない。 大会パンフレットの地図で確認すると、Finish gateからさほど離れていない場所にあるように思えますが、それらしき建物は見えません。途中、同じように迷って走る5-6人の男性選手ご一行と、スマホでGoogl map見ながら「この辺に間違いないのだが・・・」と何度も確認するけれど、住宅街のようなところん入り込んでしまい、選手のような人は全く見えません。 近くを歩いていた人に住所を確認してもらうと、「そうだよ、そこの建物がそれだよ」と教えてくれますが、その施設はタダの体育館で鍵がかかっていました。
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 彼らと一緒に道を探しながら、あちこち歩きまわっている際に、或る一人が「おめーさん見慣れねぇ顔だがよぉ、どっから来なすったい?」と訊いてきて、よちよち英語の会話開始。 途中で、ある一人が「俺は、Swimが苦手なんだ。明日のSwim練習は、5分でお終いだナ」みたいなことを言う。 レースは明後日だし、なんで「たった5分」で練習を終えるのか・・・この時は、いったい何のことを言っているのか分かりませんで、なぜか頭の中に引っかかっていました。
 結局、いったん道を引き返して、別のルートからブリーフィング会場を探し当てたのですが、なんと、ついさっきまで迷っていた場所の建物の反対側が「会場の入り口」になっていたのでした。Googleマップもプログラムの住所も、どちらも間違っていなかった、という訳です。 無駄に時間と体力を消費したのですが、迷った他国の選手と、よちよち英語で話が出来ました。だから海外のレースは面白い
 ブリーフィングは英語、ロシア語、エストニア語の3回。自分は、英語のを途中から聴き、日本で連絡を取り合っていた数名の選手と、ここでようやく合流できました。
 15:30頃にブリーフィングが終わると、次のイベントは19時からのWelcome carbo-Party。まだ3時間以上もあるし、その間行くところは近くにないし、タイヤ交換でクタビレたしで、楽しみにしていたウェルカム・パーティは欠席。
 宿に戻り、日本から持ってきたハウス・ジャワカレーとバーモントカレー辛口を混ぜた特製カレーを作って食べてお終い。4-5日ぶりにBEERも頂きました。
 結局、この日は練習らしい練習はできず、Bikeで市内を20q以上ぐるぐる走り回って終わり。
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”Life is an adventure!” ”Smile and Never Ever Give Up.” (Ellie & Massan)

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☆0804 Ironman Tallinn ESTONIA 2018 参戦記(前編) ドドーンとどす鯉@Big Island屁の道!/BIGLOBEウェブリブログ
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